こんにちは。
さっそくですが、ゲシュタルトは、ドイツ語で「まとまりのある構造、形状」を意味します。
ゲシュタルト崩壊は、あるモノの全体像が失われ、意味が分からなくなる現象です。
幾何学図形、文字、顔など、視覚的なものがよく知られていますが、聴覚や皮膚感覚においても生じるのだそうです。
たとえば…
「松」の文字を長く(約25秒)見たり、連続して何回か書いたりしていると、「松」ってこんな文字だったっけ?と思ってしまうものです。
木、ハ、ムがばらばらに見えてきたりします。
特に漢字では、これが起きやすいそうです。
それは、漢字の構造が規則的だから。
(へん、つくり、かんむりなど)
漢字でなくても、ひらがなでもありますけどね。
さて、原因について。
これは病気ではなくて、誰にでも起こる現象で、
原因はよく分かっていないそうです。
公益社団法人 日本心理学会の先生の説明によると、
「末梢的な視覚情報処理過程の順応あるいは疲労のために生じるのではなく,部分を統合し,全体形態を把握するパターン認知の高次過程において,持続的注視による機能低下が起こるために生じるのではないかと考えられてる」
とのことです。
よく考えてみると、一見して理解できる文字が、じっと見ていると何故か認識できなくなるなんて、不思議だし、なんだか怖いなと思いました。
一時的なことで、ちょっと間をあけてその文字を見ると、また分かるようになっているので良いんですけどね!
人間の身体は、ずいぶん研究されていると思いますが、それでもまだ未解明なことがあるのは不思議です。
もう1つエピソードをご紹介。
夏目漱石の『門』の冒頭に、主人公の宗助と妻の御米(およね)のこんな会話があります。
「御米、近来の近の字はどう書いたっけね」と尋ねた。
細君は別に呆れた様子もなく、若い女に特有なけたたましい笑声も立てず、
「近江のおうの字じゃなくって」と答えた。
「その近江のおうの字が分らないんだ」
(そして「近」という字を書いてみせる御米。)
「どうも字と云うものは不思議だよ」と始めて細君の顔を見た。
「何故」
「何故って、幾何容易い字でも、こりゃ変だと思って疑ぐり出すと分らなくなる。この間も今日の今の字で大変迷った。紙の上へちゃんと書いて見て、じっと眺めていると、何だか違ったような気がする。仕舞には見れば見る程今らしくなくなって来る。——御前そんな事を経験した事はないかい」
「まさか」
「己だけかな」と宗助は頭へ手を当てた。
「貴方どうかしていらっしゃるのよ」
「やっぱり神経衰弱の所為かも知れない」
(Wikipediaより)
おもしろい♪ (笑)
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